身体が鉛のように重たい。
その表現がぴったり当てはまる。
特に両手足は横になったままでも重力に押し潰されるようにマットレスに沈み込んでいて、寝返りするもの辛い。
ほんの少し、少しだけでも起き上がれば、手の届くところに頓服薬はあるのだ。
痺れて鈍感になった指先だけを伸ばしてデスク上のマグカップを取ろうとしたが、軽く掠っただけで逆に離れた。肘をついて半身を起こしてもう一度手を伸ばしたが、今度は力加減が分からず、勢いよく倒れたマグカップからこぼれた水で床が濡れてしまった。
布団に潜る。呼吸の仕方が分からない。肋骨がガチガチに固まって、肺に空気が入ってくる気がしない。
悔しい。
もう少し眠ることにする。
【はじまり】
私はパニック障害だ。
主な症状は、手足の震え、動悸、息苦しさ(過呼吸)、時に嘔吐もある。
たいてい指先か脚の痺れや息苦しさから始まり、次第に全身が硬直してゆくような感覚になる。呼吸は浅いが、過呼吸にならないようにとてもゆっくりだ。深く息を吐けない。肋骨が動かない。音が遠い。
日常的に起こるこれらの症状をできるだけ誰にも気付かれないようにやり過ごしてきた。
初めて大きな発作、過呼吸を起こしたのは、15歳。高校生なってすぐの頃だった。
学校からの帰り道、家まであと少し、なんならマンションの敷地内だ。後ろから足音が近づいてきた。ランニングのような軽い音だ。私は道の端に寄った。足音はそのまま横を通り過ぎる、と、思ったのだ。
背中に自分よりも大きなものがぶつかった。
少し硬いが、人だ。
大きな手で鼻と口を塞がれ、もう片方の手は私の両腕ごと体を抱え込んでいた。
過呼吸なんて言葉も知らないまま、短く浅い呼吸を繰り返して誰もいない自宅に戻った。頭が朦朧とする。
その日から私は過呼吸を繰り返すようになる。
だが実は、パニック障害の症状自体はそれよりもずっと昔からあった。
覚えているのは小学生の頃、雨の日の集団登校だ。
レインコートを着ていたのを覚えている。多分低学年だろう。
濡れて肌に張り付くレインコートが苦手だった。湿度が高くてベタベタして、何かがまとわりついているような感覚。息ができない、頭がクラクラする。水の中にいるみたいだ、と、思いながら、道路を泳ぐ金魚を想像していた。
あの想像の風景が今でも忘れられない。苦しい中で随分と美しい風景を描いたものだと我ながら感心する。
【きょう】
数日前から調子は悪かった。とにかく身体がだるかった。
デスクに向かうもなんだか集中できず、それでも無理やり短時間で区切ってタスクを捌こうとした。
これがよくなかった。
「なんとなくだるい」「なんか集中できない」、私の身体はちゃんとサインを出していたのに、自分自身に何が起こってそんな状態になっているのかを知ろうとしなかったのだ。
今朝、遮光カーテンの隙間から入る朝日で目が覚めた。
もう何日も背中が硬い日が続いている。筋肉の緊張を感じながら身を起こす。膝と指先にかすかな痺れを感じながら、顔を洗い、髪を結び、身支度を整える。
出勤時刻が迫る。もう家を出なければならない。
目覚ましよりも早く起きたはずなのに、身支度もできているはずなのに、漠然とした不安で家から出られない。絡み合って原型を無くして大きく膨らんだ何かが今にも爆発しそうに自分の中にあって、そいつが兎にも角にも怖いのだ。
本当にもう家を出なければ遅刻をしてしまう!という時間になって、やっと玄関に降りる。
マスクをする。一瞬息が詰まる。頭に血が上り、目と耳の奥に心臓の圧を感じる。痺れはすでに全身にわたり、硬直する胴体とは正反対に膝に力が入らず、歩きはぎこちない。上がらない脚のせいで靴底が何度も地面を擦る。
「こんな状態で仕事ができるのか?休んだほうがいいのでは?」
「でも急に休むと迷惑をかけてしまう。」
「なんだかんだでこれまで隠し通せてきた、今日も大丈夫かもしれない」
「大丈夫じゃなかったらどうする?そのとき何が起こる?」
そんなことがぐるぐると頭の中を上滑る。堂々巡りだ。
休むことと出勤することとどちらが職場にとって迷惑なのか分からないまま電車に乗り、爆弾を抱えるような気持ちでなんとか出勤まではしたが、1時間後には立っていられなくなり、気絶をするように事務所で3時間眠り、赤ベコみたいに謝りながら帰宅した。
とんでもなく情けなかった。
私の怖がる漠然とした何か。それは私が拾いきれなかった、拾うことをせずに放置した、様々な感情だ。
たとえば、自分の体ではないような感覚と、このあと自分がどうなってしまうのか分からない不安。一向に良くならない体調、良くなるどころか日々悪化しているように感じる。これまで普通にできていたこと、みんなが当たり前にできていることができなくなるのではないかと怖くなる。
ただじっと座っていること、自分に話しかけられていると気づくこと、何を言われているのか瞬時に理解すること、人や物にぶつからないように歩くこと、むせずに水を飲み込むこと、そんなことさえも困難に感じていることを私は認めたくない。だが私が認めても認めなくても身体は思い通りにならない。
「仕事が、生計を立てることが、できなくなるかもしれない」、何度も頭をよぎる。
そうなる前に少し休んだほうがいいのかもしれない。でもどれだけ休めばいいのか分からない。それに休んで体調がよくなるとは限らないし、休んだところでこのまま悪化してゆくだけなのかもしれない。だったら多少無理をしてでも今の内に少しでもお金を稼いでおかなくちゃいけない。
だって、お金がないと生きていけないんだから。
そしてまた、私は様々な焦りを整理できないままにただ翻弄され、休む選択ができずに目の前の仕事をこなすことに必死になる日々を生きるのだ。
【これから】
これから私はどうやって生きていけばいいのだろうか。
自分で提出した希望シフト通りに出勤することもできず、出勤しても不調を隠し、限界を超えて早退し、自分にがっかりしながら生きていくのだろうか?
その通りだ。少なくともしばらくは。
実はこのコラムを書き始めてから2ヶ月以上が経っている。
序文に手をつけたのは春の終わり、神戸に住む息子の小学生の入学式があった。
東京は関西より遅れて梅雨に入り、ジメジメと湿度の高い日が続いたかと思うと真夏のような日差しに体力を奪われる日もある。
もう7月だ。
何回も早退し、遅刻し、休んだ。
駅で倒れて職場に連絡を入れることもあった。
「なんでみんなが普通にできていることが私にはできないのか?」
そう考えてしまうことがある。でも、なんでできないのかを考えたところで状況が良くならないことももう知ってしまった。
ならこれから私が考えていくのは、「じゃあ、これからどうするか?」だ。
ではそれらを踏まえた上で、私が欲しいもの、手に入れたいもの、逆に手放したいものはなんだろう?
・仕事を続けたい、金銭面で不安になりたくない。
・必要以上に自分を責めたくない。
・自分の体調を整える時間を取りたい。
・体調が悪いと感じた時の対策が欲しい。
正直今すぐ完全な健康体になれたら最高だろうが、それに関しては期待しすぎず、長期的な目標として掲げておく。(そもそも完全な健康体ってどんなんやねんってツッコミも自分の中で起こる)
そして今私が最も重要だと思うこと
・完全な健康体になることを待たない。
これである。
諦めるのではない。期待をしすぎない、完全な健康体でないとできない、無理だ、と、自分に決めつけないことだ。
きっと私だけではない。
私たちはついつい最高の状態を求めてしまう。それは体調だけでない。最高の環境や最高のタイミングを待ち続けている人もいるだろう。
いや、最高の状態を求めることは何も悪くない。危険なのは、「最高の状態が来るまで自分は何もできない」と決めてしまうことだ。
完全な健康体になる日は、来ない。
完璧に整った環境や最高のタイミングは、来ない。
仮に数日後、数ヶ月後、体調や環境やタイミングにどれだけ恵まれたとしても、私の危機管理能力はきっと粗を探して物事がうまくいかない理由を見つけ出すだろう。
つまり、今から動くしかないのだ。
今がほぼベストなのだ。
手足が震えようと
呂律が回らなくなろうと
理由もわからないまま涙が出ようと
急な吐き気に見舞われようと
私は今から動くのだ。(もちろん安全の確保はしつつ)
人生の殆どをパニック障害と生きてきた。
近い未来で治る気は今のところ期待していない。
一生このままかもしれない。
それでも私は、このまま、体調や健康にコンプレックスを持ったまま、その様子をオープンにして生きていきたい。しんどくても、しんどいまま自分の人生を生きていけることを自分自身で世の中に証明したい。
私には野望がある。それを実現させたい。
この体調のままでいい、体調も環境も整わなくてもいい。今から進み、実現させたい。
自分の人生のためにしていることだけれども、私のこの不器用でカッコ悪い生き様が、誰かの背中を押せるのだとしたら、とても嬉しく思う。
では、また。